インタビュアー:山之内滋美アナウンサー
――第二次大戦の前後、演奏家としての活動を中止しなければならなかったようですが?
いや、私は1933年以来、ずっと演奏を続けてきました。
戦争中も、イギリスにあったポーランド亡命政府の仕事をシコルスキー将軍のもとでしながら民間人や傷病兵のために350回の演奏会を開きました。
私は一度も音楽を中断していません。
私は音楽こそが人々や国と国とを一つに結びつける唯一の道と信じています。
音楽というメッセージをわかちあう時、私たちはみんな、兄弟姉妹のように感じることができます。
さまざまな国の人々が大きなコンサート・ホールにいっしょに座ることができれば、そこに平和と幸せが生まれるでしょう。
これは私の心からの願いです。
――そのような経験はあなたの音楽にどのような影響を与えていますか?
経験により私は人道主義者そして教育者になりました。
私はメキシコや諸外国で2つの世代を教えています。
数多くの日本人学生を教えていることも私の喜びです。
大事なことは自分の技術だけでなく自分の経験をも若い世代に与えることです。
コンサートの演奏家はやって来ては去りますが、教育者というものは次の世代への重要な遺産というものを信じています。
メキシコの大学で教え世界で教えることに私は誇りをもっています。
――日本の若いバイオリニストに対して何か?
私はメキシコから日本への特別の贈り物として大阪にマスター・クラスを設けます。
メキシコと日本は以前にましてよい関係のもとにあります。
音楽や芸術や観光を通じて両国の友情をさらに進めたいと願っています。
日本はバイオリン芸術で最もすぐれた国です。
優秀な教師と才能豊かな若いバイオリニストがいます。
私たちメキシコ人は日本の人と協力し経験と知識と才能をわかちあいたいと思います。
メキシコの若くすばらしいバイオリニストを日本に送り日本の若い芸術家をメキシコに受け入れたいと思います。
1981年5月23日に録画されたインタビューの映像の字幕を引用しました。
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