バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番
(Vn ヘンリク・シェリング、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、指揮 ネヴィル・マリナー、1976年、Ph)
「バッハのヴァイオリン曲といえば、シェリングと決めていたころがあった。それゆえ、この曲は、シェリングがマリナー(アカデミー・オブ・セント・マーティン=イン=ザ=フィールズ)と組んで1976年に録音した盤が私にとっては最上で、ほかの名演奏を捜して聴く気も起こらなかった。実際、シェリングのヴァイオリンの音には魂の響きがあり、シェリングの気品も加味されて、名演奏とはまさにこれであった。10年間ほどこの盤を聴き続けてきて、じつはいまも聴いているのである(以下、略)」(後掲書451頁)
バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲
(Vn ヘンリク・シェリング、Vn モーリス・アッソン、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、指揮 ネヴィル・マリナー、1976年、Ph)
「名曲なので盤が多い(略)。・・・バッハのヴァイオリン曲といえばシェリングを忘れてはならない。シェリングとアッソンにアカデミー・オブ・セント・マーティン=イン=ザ=フィールズ(指揮はマリナー)の演奏のほうが、じつは聴いた回数は多い。この温かい演奏は心を豊かにしてくれる。都会で独りで生活している人には、この演奏が良い。永遠の名演奏である(以下、略)」(後掲書452頁)
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番
(Vn ヘンリク・シェリング、バンベルク交響楽団、指揮 ヤン・クレンツ、1972年、Ph)
「消えゆくヴァイオリン協奏曲であるが、シェリングの名演奏のおかげで余命を保っている。シマノフスキはポーランドの作曲家である。寡作家であるらしい。芸術作品はどのような表現もゆるされるが、人をひきつける力をもたなければならない。魅力といいかえてもよいが、残念ながら、この曲には魅力がない。甘美なヴァイオリン協奏曲を期待すると裏切られるから、最初にいっておく。きわめて重大な提言をしているわけでもない。いわば音楽原理が内側で回転して曲がつむぎだされているのであるが、曲が作曲者を乗り越える力をもたない。それはそのまま曲がポーランドという国から出る力をもたないことである。いわば内にいる人に聴かせる音楽なのである。シェリングはこの場合、きわめて優秀な通訳であり、外の人にわかるように語っているのだが、シェリングでなければ意味不明となりうる弱点をこの協奏曲はもっている。芸術作品が人を打ってゆくとは、
それほどたいへんなことなのである。シマノフウキはワルシャワ音楽院の院長になったような人であるから、厳格な人であるかもしれないが、音楽の厳しさとはちがうものである。この曲には創作意識の甘さがある。この程度でよいであろうとみずから限界をつくったところがある。そこがつまらない。変ないいかたを
すると、本当の個性とは限界の内側にはないものである。なにがだめか知りたい人だけが、この曲を聴けばよい。名曲とはたやすく生まれないことを知るのも悪くないかもしれぬ」(後掲書620頁)
ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲
(Vn ヘンリク・シェリング、バンベルク交響楽団、指揮 ヤン・クレンツ、1972年、Ph)
「ショパンとならんでポーランドを代表する作曲家である。ショパンがピアニストであればヴィエニャフスキはヴァイオリニストである。8歳でパリ音楽院に入学したというのであるから、おどろくべき
神童であった。かれはある時期、ロシアの宮廷ですごし、この曲はロシア滞在中に書かれた。豊かな抒情をもつ曲で、圭角がなさすぎるといえるかもしれないが、これほど聴きやすいヴァイオリン協奏曲もめずらしい。演奏についていえば、シェリングとクレンツ指揮バンベルク交響楽団の演奏を聴きのがすわけにはいかない。シェリングがポーランドのワルシャワで生まれたことを忘れてはなるまい。全楽章が清澄さでつらぬかれている。聴けば聴くほど気持ちが澡(あら)われる演奏はシェリング以外に求めようがない。(以下、略)」(後掲書620頁)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番《スプリング(春)》
(Vn ヘンリク・シェリング、P イングリット・ヘブラー、1978年、Ph)
「(略、オイストラフ=オボーリン盤、ハイフェッツ=ベイ盤、パールマン=アシュケナージ盤の紹介がある)。それよりすばらしいのがシェリングとヘブラーの演奏である。これは一聴すべきであろう。(略)。シェリングとルービンシュタインも悪くないが、ヘブラーと組んだ演奏のほうが私は好きである。(以下、略)」(後掲書690頁)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番
(Vn ヘンリク・シェリング、P アルトゥール・ルービンシュタイン、1961年、RCA)
「(略)。シェリングとルービンシュタインは、少々鋭さはあるが、ふたりの解釈を断行している点で気持ちがよい。パールマンよりシェリングのヴァイオリンは温度が高い。(以下、略)」(後掲書693頁)
ブラームス:ピアノ三重奏曲第3番
(Vn ヘンリク・シェリング、P アルトゥール・ルービンシュタイン、Vc ピエール・フルニエ、1972年、RCA)
「(略、ボザール・トリオ盤、ウィーン・ピアノ・トリオ盤の紹介がある)。だが、ルービンシュタイン、シェリング、フルニエの3人にはおよばぬであろう。第1楽章は構えが大きく、しかも工夫がある。シェリングのヴァイオリンが巧さを発揮している。第2楽章はチェロが印象的である。第3楽章は歌心のあるのびやかさがこころよく、ピアノが
とくに良い。そのように楽章によって3人の長所と個性が強調され、第4楽章は過不足のない調和にそれぞれがいる。みごととしかいいようがない。」(後掲書721頁)
ブラームス:
ヴァイオリン・ソナタ第1番
(Vn ヘンリク・シェリング、P アルトゥール・ルービンシュタイン、1960年、RCA)
「
(略)。シェリングとルービンシュタインはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのときにも感じたが、演奏も音も堅い。録音技術のせいであるのか、ルービンシュタインのピアノはもっと深くやわらかい音として聴こえるべきである。シェリングのヴァイオリンも澄明度が足りない。心に滲みてくる音になっていない。(以下、略)」(後掲書724頁)
ブラームス:
ヴァイオリン・ソナタ第2番
(Vn ヘンリク・シェリング、P アルトゥール・ルービンシュタイン、1960年、RCA)
「
(略)。シェリングとルービンシュタインの演奏は、第1番より良いのである。録音年は同じで、わずかに2日ちがいの録音なのに、こちらのほうがすぐれている。(以下、略)」(後掲書725頁)
ブラームス:
ヴァイオリン・ソナタ第3番
(Vn ヘンリク・シェリング、P アルトゥール・ルービンシュタイン、1960年、RCA)
「
(略)。シェリングとルービンシュタインは、3曲のなかでこの演奏がもっとも良い。外光の射さない部屋で、ふたりで明かりを灯している感じである。独特な音楽世界を形成したのである。(以下、略)」(後掲書726頁)
宮城谷昌光『クラシック私だけの名曲1001曲』(新潮社)より該当箇所を引用しました。
- 引用に際して、漢数字を英数字に直しました(例、第一番→第1番)。
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引用した曲以外にも、シェリングのCDの紹介がされている部分はあります(注)。けれども、それらの部分においては、シェリングの演奏への言及がほとんどなされていないので、引用しませんでした。
(注)引用した以外の曲でシェリングのCDが紹介されている部分
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番《クロイツェル》(前掲書694頁)
ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番(同719頁)
ブラームス:ピアノ三重奏曲第2番(同720頁)
バッハ:無伴奏パルティータ第2番より「シャコンヌ」(同903頁)
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