宇野功芳:UCCP-9067のライナーノートより
 

Last Updated: 2003/11/02
Administrator: Binwa


シェリング/シュミット=イッセルシュテットのベートーヴェン

 「19世紀から20世紀初頭にかけて全盛を誇ったヴァイオリンの妙技も、次第に人気が衰え、人びとの眼はむしろチェリストや、それ以上にピアニストに注目しているかに見える。旋律を甘く歌わせることに一番の特徴を持つヴァイオリンは確かに今様ではあるまい。もちろんオーケストラにおいては今後も無くてはならない楽器であるが、独奏という点になると、より深い味を出せるチェロやピアノに一歩ゆずるようになったのは、やはり聴衆の嗜好が変化したからであろう。

 20世紀に入って、われわれの期待に応えて登場したのがシゲティであり、彼はヴァイオリンという楽器を甘美に鳴らすことをやめ、むしろ汚い音で、ぶっきら捧なほどに音楽の内面を厳しく追究しようと努力したのであった。ぼくはクライスラーやティボーの小品を、ものによってははなはだ好むが、大曲になるともう一つぴったり来ないのを感ずる。その後に登場したオイストラフになるともういけない。前二者より個性的な味がうすくなったため、ヴァイオリン独特の豊麗さ、歌う要素が全面に出すぎ、器楽固有の独特の嫌な部分(それはピアノにも声楽にも必ずあるのだが)が強調されすぎ、ことに全盛時代の彼をぼくはすきではない。

 その点、シゲティはすばらしかった。ヴァイオリニストは年齢による衰えが他の楽器以上に目立つものが、シゲティは技巧をはじめから超越していたために、むしろ最晩年の演奏が最も感動的であった。現在、彼の演奏スタイルは韓国生まれのチョン・キョンファに受けつがれている。

 シゲティの演奏がヴァイオリン本来の美質を損なうものであるという批判が、最近のパールマンやズーカーマンを生んだといえそうだが、シゲティからパールマンに至る過渡期にシェリングは存在する。彼はシゲティほど楽器を痛めつけず、パールマンほど可愛がりはしない。中庸を行っているために一見個性が弱いようだが、ヴァイオリンの歌う特質、そのほどほどな豊麗さに飽き足りず、さりとてシゲティでは行きすぎと思う人にぴったりな名ヴァイオリニストだといえよう。クライスラーもティボーも、シゲティもパールマンも、常に楽曲自体より演奏者を感じさせ、またそれが彼らの魅力ともなっていたわけだが、シェリングは違う。演奏者は完全に聴衆の視界から姿を消し、あるがままのバッハが、ベートーヴェンが、ブラームスが鳴りひびいている。今、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスと書いたが、実際、彼の弾く三大Bはすばらしい。シゲティとパールマンの中間的スタイルを持つ彼ではあるが、芸術家としての資質がシゲティに近いシェリングは、必ずしも小品の名手ではなく、メンデルスゾーンやチャイコフスキーも得意中の得意とはいえない。彼の音楽のふるさとは、あくまで、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスにあるのだ。

 フィリップス・レーベルで聴けるバッハのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番に耳を傾けるがよい。作曲者の心が、情感が、香るような音色から最も感じとれるのはこのディスクなのだ。ブラームスの協奏曲ではいっそう厳しいシェリングの姿をうかがうことが出来よう。新旧両盤あるが、ぼくはドラティ指揮の旧盤を採る。甘さを 排して勁い音色で、真摯に、生々しく弾いてゆく。ことに第2楽章の張りつめた精神美は絶品と称せられよう。

 シェリングはベートーヴェンのコンチェルトもステレオだけで2度録音している。モノーラルも加えると3度ということになるが、彼がいかにこの曲を愛し、また得意としているかが察せられよう。これらのうち、ティボーの指揮で入れたモノーラル盤は今となっては価値が乏しい。真面目なのは良いが、いかにも生硬で閃きに欠け、巧味が無く、単調である。

 ステレオの2枚は、いずれも兄たり難く、弟たり難い名演だ。録音年月もさほど隔たってないので、演奏スタイルもほとんど変らない。むしろ違うのは録音法で、ハイティンクと組んだ新盤は音色が明るく、シュミット=イッセルシュテットと組んだ旧盤は(すなわちこのディスク)渋く落ち着いている。指揮は後者が実に見事だが、ハイティンクも良くつけており、好みによってどちらをとっても後悔することは無いが、ぼくは旧盤の方が好きだ。

 実際ここでのシェリングはすばらしい。ぼくはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲には特別の思い出があり、愛着があるのだが、さてレコードを聴くとなると、シェリングの2枚(たいていは旧盤)を選ぶのが常である。SP時代、モノーラル時代はシゲティ=ワルター=ブリティッシュ響のレコード専門で、ステレオ時代に入ってからは、フランチェスカッティ=ワルター、シゲティ=ドラティと続き、シェリングが出てからは専らこれに頼っている。というのも先程ちょっと書いたように、演奏者の存在を忘れて、曲自体の美しさを満喫できるからである。

 どんな名ヴァイオリニストでも、1カ所や2カ所は抵抗を感じさせる部分があるものだ。たとえばボーイング、節まわし、音色や表情の味の薄さなどだが、シェリングはすべてが完璧で、しかも高雅、高潔な人間の心に充ち満ちている。特に懐かしさにおいて際立ち、解放弦を避けて弾くのも真摯な彼らしい。全曲中もっとも個性が出ているのは、ロンド主題のフレージングであるが、それとても音楽が本来そのように書かれてある如く自然で、しかも香り豊かなのだ。カデンツァはヨアヒムとフレッシュのものを使用。

 特筆すべきはシュミット=イッセルシュテットの指揮であろう。」(以下略)

 

宇野功芳「シェリング/シュミット=イッセルシュテットのベートーヴェン」(UCCP-9067)を引用しました。
 


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