「キュッヘル先生のウィーン・フィルにおけるキャリアは、20年を超えている。楽団の最前列、しかも、せいぜい2、3メートルの至近距離で接しられた大ヴァイオリニストの演奏から何を学ばれたのか。私は先ず、それを知りたかった。
「ベートーヴェンの協奏曲を共演して、私が感銘を受けたのは、先ずダヴィード・オイストラフ。彼は25年近く前に亡くなっていますから、もう随分昔のことになりますが、あの折りに受けた感動は忘れられません。それに、ヘンリク・シェリングの弾くベートーヴェンも素晴らしかった。彼も世を去ってしまいましたが、印象は強く残っています」
完璧な技巧を持ちながら、それを誇示するような演奏は一切せず、もてる総てをひたすら楽聖の作品の正しい解釈と表現のために捧げた2人の巨匠の名前を、キュッヘル先生が挙げられた。
「ああ、やはり――」
というのが、そのときの私の偽らざる感想であった。
大向こうを唸らせ、たとえ「ブラボー」の歓声に包まれなくても、20年を過ぎた今もなお、共演したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、首席コンサートマスターの心から去らない演奏とは。音楽家を志す者なら、誰でもが必ず1度は見る夢が、ここウィーンのステージでは実現されている。
(中略)
(ウィーンとアムステルダムでは)感銘深いコンサートの場合は、聴衆のほとんど全員が席を立ち、拍手をしながらステージ目指して歩み寄って来る。見ていると、まるで温かい波が、奏者の立っている舞台にゆっくりと打ち寄せているかのようだ。
オイストラフやシェリングという巨匠の奏でるベートーヴェンには、そんな光景がいちばん似合いそうだと、私はウィーン楽友協会大ホールの美しいステージと客席の交流の姿などを想い浮かべていた。その場に居合わせた人々は、生涯忘れえぬ感動を味わい、それを
胸に大切に抱きながら家路についたのであろう。ほの暗い街燈の下、古い石畳を踏みしめながら、遠ざかってゆくウィーンの聴衆の幸せそうな後ろ姿が眼に見えるような気がする」
諏訪内晶子著『ヴァイオリンと翔る』(NHKライブラリー)180〜182頁から抜粋して引用しました。
引用に際して、漢数字を英数字に直しました(例、二十年→20年)。